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    【奉祝!】明治34年4月29日 昭和帝ご生誕の日

    • 2014.04.29 Tuesday
    • 13:52
    4月29日は昭和天皇陛下のお誕生日ですね。
    ですので、先帝陛下に関する事をブログに書いてみたい思います。まずは、昭和天皇のお誕生の話から。

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    明治33年5月10日の御成婚の儀から、しばらくして節子(さだこ)皇太子妃は妊娠し、翌年の4月29日の晩、2時間ほどの陣痛の後に産気づき、侍医橋本綱常が見守る中、体重3キロ、身長51センチの元気な赤ちゃんを出産した。

    産湯につかった赤ん坊が、羽二重にくるまれたのを確認した橋本は、扉をあけて、引きつった顔をしている東宮大夫に親王誕生を伝えた。

    親王誕生の知らせに、その場にいた者全てが安堵し、その知らせは御所には瞬く間に広がり轟くような歓声があがった。

    その歓声は、まもなく万歳へと変わった。そのうちに、三々五々、見舞い客があらわれた。誰もが歓びをもてあまし、足りない言葉をじれったく思いながら語り、大声を出し、結局めでたい、めでたいと云いあった。

    それほど、天皇家の後嗣問題は、人々の心に重くのしかかっていたのである。その不安が、結婚後一年ほどで解消されたことが、どれだけ意外であり、思いがけない慶事であったか。

    国民の喜びは大きく、各地で陸海軍の祝砲が響き、翌日30日には北海道から台湾までの街路に号外が舞った。官界から実業界、都市から地方の各所で仕事が休みになり祝賀会が催された。

    (文藝春秋『昭和天皇 第一部』福田和也著より参照)

    百年以上も前ですが、日本中が慶事に沸き立っていたのですね。

    以前、当ブログでSAPIOの記事を紹介させて頂いたのですが、再度、紹介したいと思います。


    【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】

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    皇居勤労奉仕。

    読者のみなさんは、この言葉を耳にしたことがおありだろうか。
    全国各地から多くの人々がグループを作って上京し、皇居の中で四日間、ボランティアの清掃活動を行っている。その数、平成に入ってからの実績で言えば、一年間を通じておよそ一万人。この活動のことを「皇居勤労奉仕」と呼んでいる。
      *
    清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担だ。それでも約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けている。一般にはほとんど知られていない事実だ。しかし十分、注目に値するだろう。
    では、この皇居勤労奉仕はいつ、どのような経緯で始まったのか。
    この点については、幸いなことに、いくつか関係者の証言が残っている。まず、昭和天皇の側近に仕えた木下道雄侍従次長(当時)の証言を紹介しよう。

    時は昭和20年12月。つまり終戦の年の年末のことだ。当時、日本は言うまでもなく占領下にあった。皇居も各門にはアメリカ兵が見張りに立っているありさまだった。

    その皇居自体も、外観こそ戦前と変わらぬ様子であったものの、一歩、中に入ると戦災の跡が歴然として痛々しいまでの変貌ぶりだった。木造の建造物はほとんど焼失していた。明治時代に建てられた端正雄大な宮殿も焼け落ちて礎石や瓦、レンガなどが散乱し、目も当てられない状態だった。手入れが行き届かないため、雑草があちこち伸び放題に生い茂っていた。これは皇居前広場も同様だったから、外からも一目瞭然にわかった。

    そんな折、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一団が到着した−−。


    【皇居の清掃奉仕を申し出た若者たち】

    この若者たちは、門衛の皇官警察官を通して、次のように申し入れたという。
    「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのため上京してきました。‥どうかお手伝いさせて下さい」と。

    このことを筧素彦総務課長(当時)から電話で知らされた木下氏は、ただちに筧氏と一緒に門外で彼らと面会。その熱意に打たれて「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に一同の喜びはたいへんなものであった」−−。
    木下氏の証言によれば、皇居勤労奉仕はこのような形で始まったことになっている(同氏『皇室と国民』。)

    当時の交通事情を考えると、宮城県栗原郡の地元から上京してくるだけで、大変な苦労があったはずだ。しかも終戦直後だから経済情勢は極めて悪く、食糧の入手さえ困難な状況下でのことだ。その上、皇室そのものの行く末もなお不透明だった頃である。
    出獄した日本共産党の面々は虚脱した国民の前で「天皇制の打倒」を叫び、GHQは昭和天皇側近だった内大臣の木戸幸一を戦犯容疑者として捕らえ、皇族の長老、梨本宮守正王まで拘引される始末だった。

    そうした中で、60人もの若者たちが意を決して上京してきたことは、じつに驚くべきことと言ってよい。ただし、木下氏の証言だとも六十人の青年グループが突然、皇居に押しかけて「手伝い」を申し出たように受けとれるが、じつはこれ以前に勤労奉仕の受け入れをめぐるやりとりがあった。
    この点については筧氏の証言がある。


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    【宮内省 総務課長の勇断】

    それによれば、ことのいきさつは以下の通りだった。
    この年の11月22日、宮城県から上京してきた二人の人物が宮内省(当時)を訪れた。この時、二人に応対したのが筧氏だった。

    この二人は、地元で指導的役割を果たしていた。一人は青年団運動のリーダー、鈴木徳一氏、46歳。もう一人は東久邇宮(*ひがしくにのみや)内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川竣氏(のちの衆議院議員)、33歳。彼らは現今の思想悪化を憂いつつ、なお皇室のことを思って荒れた皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに地元に60名にもおよんでいることを告げ、勤労奉仕の許可を求めたのであった。

    この熱意ある申し出に対し、筧氏はどう対応したのか。氏の証言を引用しよう。
    「当時はすでに占領下にあって、ことごとに占領軍の抑圧を受けている極めて酷い事情の下にあるので、こういう申し出をされる方も命がけなら、それを受け入れる決断をする方もまた異常の覚悟を要する状態でした。(中略)これを組織による意思決定の形をとったら、(中略)万一の場合、上の方にご迷惑が及ぶことがあっては一大事であると考え(中略)一切の責任を負って自分だけの独断でやることを決意しました」(日本教文社編『皇居を愛する人々』)

    かくて筧氏は、信頼するただ一人の上司にだけ打ち明け、その内諾を得るや、ただちに二人に勤労奉仕の許可を申し渡したのであった。何とも恐れ入った勇断と言うほかない。

    この時、鈴木・長谷川両氏は、何の書類審査もなく即日、許可されてビックリ仰天したという。それも無理はない。ただでさえお役所仕事というのは手続きが煩雑で、時間がかかる。ましてや天皇陛下のお側近くで仕える宮内省に、まったく前例のないことを申請しようというのだから、二人とも相当に手間暇がかかることは覚悟していたはずだ。それなのにただ一回の口頭の申し入れただけで、ただちに願いが聞き届けられたのだから。


    【拡大する勤労奉仕にGHQが疑念】

    宮城県栗原郡の若者たちは「みくに奉仕団」と名乗った。正確には男性55名、女性7名の計62名で、団長の鈴木氏と副団長の長谷川氏を除き、ほとんどが22、3歳の若さだった。苛酷な占領下のことゆえ、彼らの行動に対しGHQがどのような対応をとるか予測がつかず、「娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」という(木下氏証言)。

    むろん、占領当局によって拘束されるようなことはなかった。ばかりか、奉仕の初日に一同にとって思いもよらぬ感激的な場面が待っていた。みなの前に昭和天皇が姿を現されたのだ。

    鈴木氏の証言を紹介する。

    「奉仕はだんだん進んで正午近くになった頃です。静かだった奥御殿の石垣の上に、かすかに人の群の気配がするので、ひょっと見上げると、陛下がお立ちになって、こちらをご覧になっていられます。(中略)お付きの方が見えて、陛下がお呼びだという。私は作業衣のまま石段を上って御前にまいりますと、木下次長さんがお取次ぎで、いろいろ御下問を賜りました。(中略)やがてご政務所へお帰りになりましたが、その御後姿を拝し一同期せずして君が代を合唱しました。誰の眼にも涙がいっぱい光っていました」(前掲書)

    その後、女官を伴って香淳皇后もお出ましになった。両陛下のお出ましに一同がどれほど感激したか、察するに余りあるだろう。
    「みくに奉仕団」のことが各地に伝わると、我も我もと次々と奉仕団が結成され、勤労奉仕の申し出が宮内省に殺到した。何しろ翌21年には早くも188の奉仕団が名乗りをあげ、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しているのだ。ピークは昭和26年で、何と4万人近くの国民が参加した(奉仕団は831団体)。

    こうした動きに対し、GHQもさすがに疑念を抱き、背後に強力な組織があって、巨額の資金を投じ、彼らにとって良からぬ策謀をめぐらしているのではないかと、独自の調査を行ったらしい。その情報をキャッチした海外のメディアが奉仕団に取材をかけるようなこともあった。総力戦に敗れた国の君主制は第一次大戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように滅びるのが通例だ。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行っている。彼らが不審に思うのも当然だ。だがもちろん、そこには何の背後関係もなかった。人々のひたむきな皇室への思いだけがあったのだ。


    【これまで累計 約120万人が奉仕】

    占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。

    この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができる(詳しくは宮内庁のHP参照)。だから高校生や大学生などの奉仕団もある。

    奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、今も天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会がある。それは天皇と普通の国民が最も近づく貴重なチャンスと言ってよいだろう。


    −戦にやぶれしあとのいまもなほ民のよりきてここに草とる(昭和天皇の御製)−

    さて、戦争に大敗した国の元首なのに、ここまで敬愛されている理由は何なんでしょう?‥私には敬愛する気持ちは分かるのですがその理由は説明できません。陛下が素晴らしいのは様々なエピソードを知るにつけ感動するばかりで、日本人のDNAなんでしょうか。

    その一端が分かるエピソードが陛下の全国御巡幸です。まだ読んだことのない方は是非どうぞ。



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    山本太郎「辞職しない、けじめをつける事はない」

    • 2013.11.05 Tuesday
    • 23:45
    陛下に怪文書を手渡した山本太郎ですが、やはり辞職せず、だそうです。

    WS001446

    前代未聞の事件だというのに、ルールを自ら破っておいて責任とらないとは。

    まー、今回の事件だけでもその場しのぎの言い訳が酷かったですから、予想はついてましたが。(それ以前の山本太郎の言動は酷いよね。電撃結婚した若いお嫁さんは被爆を避けて海外にいるなどと言って参議院選挙に出馬し当選後に「実は離婚してました」「隠し子がいました」とか。呆れますよ、この男は)

    さて、一応、この山本太郎の一連の言動。

    ▼ 屬海鵑柄ぎになるとは思わなかった」

    WS001418

    ▼◆屬海料ぎに陛下を政治利用しているのはマスコミ」

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    WS001428
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    ▼「五輪招致や政府主催イベントで"天皇陛下万歳"という事が政治利用になりかねない」

    WS001437
    WS001438


    これが放射脳なのか?本当に頭がおかしい。

    ▼下記は因みに拾いもの画像。電車内で反原発を訴える変な人達。

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    つーか、山本太郎は政府や東電には責任を求めるのに「自分は一切、責任も取らない、けじめもなし」ってどーなの?



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    陛下に怪文書を渡した山本太郎「陛下は聡明な方」

    • 2013.11.02 Saturday
    • 00:28
    当たり前ですが、昨日からエライ騒ぎになってます。

    またも山本太郎がやらかしました。バカだバカだと思っていましたら、とんでもない大バカ野郎ですよ。

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    ◆山本太郎参院議員を直撃 問題の手紙の中身を“公開”

    (2013.11.1)

    山本太郎参院議員(38)が「ありえないこと」(宮内庁)をしでかした。31日、東京・赤坂御苑で行われた天皇、皇后両陛下主催の秋の園遊会で山本氏は、事もあろうに天皇陛下に福島原発事故の現状をつづった手紙を手渡す行動に出た。現職国会議員による陛下への“直談判”は極めて異例で、「天皇陛下の政治利用」「非常識行為」との大批判が渦巻いている。渦中の山本氏は本紙の直撃に仰天行動の真意を釈明、問題の手紙の中身を“公開”した。

    ――園遊会で陛下に手紙を渡した。なぜあのような行動をとったのか


     山本氏(以下敬称略):きっかけは園遊会の招待状が3週間ほど前に届いた時でした。国会の開会式で陛下がごあいさつされるときは遠目でお会いできるが、直接お会いできる機会が与えられるのなら福島事故の現状を知ってもらいたいと思った。言葉だけだと一瞬で終わってしまう。それなら手紙につづって渡そうと。政治家ではなく、一人の人間としての思いだった。

    ――内容は

     山本:子供たちの被ばくや健康被害が福島だけではなく、この先、他にもたくさん出てくることや食品の安全基準が低い問題、原発の高線量エリアで働いている作業員たちの健康や放射線管理があまりにずさんな話などです。また秘密保護法も通ってしまえば、権力者にとって原発事故も含め、都合の悪いことは隠されてしまい、戦前に逆行している、と。

    ――いつ書いたのか

     山本:清書したのが昨夜(30日)。1枚につながった巻紙なので、途中で書き間違えたらやり直しで、4時間くらいかかりました。A4用紙10枚分くらいで毛筆でしたためました。

    ――陛下に何を望んで、手紙を渡したのか。議員としての陳情なら皇室の政治利用やパフォーマンスにつながる

    山本:下は聡明で博識な方とお聞きしている。僕が実際に原発作業員や下請けの社長さんから聞いた現状を陛下はすでにご存じかもしれないが直接お伝えしたかった。「陛下に直訴し、僕が注目されることによって、主張を聞いてもらいやすくなる狙いがあったのでは?」との批判があるが、政治利用うんぬんのつもりは1ミリもない。純然たる思いからです。だからこそ、こそっと渡したかったが、望遠(カメラ)で撮られた。マスコミが騒げば騒ぐほど政治利用とされてしまう。これだけ注目を浴びてしまい、手紙の内容が知れると陛下にプレッシャーをおかけすることにもなるので公開するのは難しい

    ――園遊会という場を考えても非常識な行為。事前に手紙を渡すことのチェックなどはなかったのか

     山本:園遊会は国会議員だからこそ招待されるのは分かっている。ただ園遊会の中で手紙を渡すことが禁じられているとは聞いていなかった。事前にチェックはなく、失礼に当たるかもしれないが、現状を知ってもらいたい気持ちが勝った。

    ――自民党の佐藤正久参院議員が批判しているように、陛下に手紙を片手で渡すとは“無礼”とは思わなかったか

     山本:そこは僕自身、非常に緊張していた。普通に生きていたら陛下にはお会いできない。芸能界時代ももちろん、園遊会に呼ばれたことはない。左手に招待状と手紙をくるんだ物を持っていて、片手でお渡しする形になってしまった。

    ――今回の行動は問題視され、1日の参院議院運営委員会で協議される

     山本:議会内の行動ではないんで、どうなんでしょう。僕はこの国に生きる人を守りたいだけ。人を守らない国は国じゃない。僕のポジションがどうこう言われれば“保守ど真ん中”です。時間との闘いもある。1秒ごとに被ばくしているんです。その思いがあふれた。

    -----------------------------------

    >マスコミが騒げば騒ぐほど政治利用とされてしまう。これだけ注目を浴びてしまい、手紙の内容が知れると陛下にプレッシャーをおかけすることにもなるので公開するのは難しい

    何を言っとんるんだ?この大馬鹿者は‥

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    ▲何を言っているんだ‥?この山本太郎は発言の一文だけ取り上げてもおかしいですし、前後の文章や過去の発言を加えたら、矛盾だらけになると思う



    陛下の迷惑になるって分かっているなら最初からやめなさいよ。仮に、この山本太郎の前例のせいで‥

    左翼「基地のせいで辺野古の海の自然が破壊されているんです!基地の縮小を!」

    右翼「連日、沖縄の海は中国船の領海侵犯されているんです!基地の拡大を!」

    なんて色んな思想の人間が陛下に直訴してきたら、どーするんでしょう?そもそも、天皇陛下は日本の象徴で政治に中立でなければならないって中学校で教わったでしょう?

    とりあえず、園遊会で怪文書を手渡す事を許してしまった宮内庁の警護は甘いと露呈してしまいましたね。宮内庁は誰か責任とらなきゃいけないのではないかと思います。

    そもそも極左の中核派から支援される議員が、陛下に怪文書を手渡しできるって異常ですよ。これで山本太郎も辞職しない警護責任も問われないなんて前例作ったらとんでもないですよ。

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    ▲ドヤ顔で悪筆の政治的メッセージを公開‥これが『天皇陛下の政治利用』に当たらないのはおかしいですよ?

    (余談ですが、この山本太郎の字は悪筆にも程があります。字のバランスも変ですが「止め・はね」が変です。それに陛下に直訴しようと毛筆で『清書』して、コレ???字の汚い人って毛筆でも、ここまで酷いものなの?ちょっと、ビックリですね)


    そうそう‥

    >陛下は聡明で博識な方とお聞きしている

    何なの?この物言い‥この山本太郎って男は一体ナニ様なんでしょう???


    >政治家ではなく、一人の人間としての思いだった。

    嘘つけ!

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    ▲陛下にお渡しされた山本太郎の手紙「陛下、私はこの‥参議院議‥山本太‥」

    『参議院議‥』の文字が見えます。どう見ても一個人ではなくて政治家としてですよね?肩書きを書いてますし、そもそも園遊会に招待されたのは参議院初当選の慣習からですから。山本太郎は政治家・参議院議員初当選で招待されたのです。

    「一人の人間」とか都合の良いことを言うな!


    さて、▼山本太郎の陛下への怪文書お渡しニュースに反原発派が擁護のツイート。

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    頭がおかしい。

    天皇陛下を『巻き込んで』???

    国会議員がルール無視の上の無礼な言動をしたというのに山本太郎を罷免したら『テロ予告』???


    >山本太郎「1秒ごとに被ばくしているんです。その思いがあふれた。

    してねーよ!!!本当にムカつきます!原発事故後、すぐさま「汚染された日本には住めない」とか言って海外に逃げて、今は「ベクレってる」とか変な造語を作って福島を差別してるくせに。

    仮に、未だに原発事故の放射能汚染があるなら対策するのは国民から選ばれた議員のお前らの仕事だろう!


    (‥スミマセン。常に冷静に書こうと思っているのですが、書いているうちに激高してきてしまいました。でも、文章を改める気にもなりません。山本太郎は本当にオカシイ。これでも抑えたつもりです。実はもっと罵詈雑言を書き殴りたいぐらいなんですが。不快に思われた方は申し訳ない)



    でも、山本太郎には本当に一言、言いたい!

    天皇陛下を政治に巻き込むな!!!!巻き込まれて、もしも『責任』問題になんてなったらどうすんだ!?

    そして

    >山本太郎「下は聡明で博識な方とお聞きしている」

    本当っっ!に不愉快です。何様なんだ?この男は。


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    【トンでも天皇論】敬和学園大・加納実紀代教授「日本国王は芸能人であり、英国と同じ立憲君主国であるにもかかわらず王位を男性に制限するジェンダー不平等が続く」

    • 2013.10.12 Saturday
    • 20:24
    まーた、ムチャクチャな天皇論が出てきましたよ。韓国で。

    ▼長文ですが是非。天皇とジャンダーと英国王室をからめたトンでも論です。

    ------------------------------------------

    ◆世界日報(韓国語) 日本人が見た天皇制"性不平等が生んだ不思議な島" 


    「日本国王は芸能人であり、それ以上でもそれ以下でもない。王一家の裏話に熱を上げる週刊誌の姿は真に見苦しい。自ら引退宣言でもすれば良いが、日本‘国民’ではないので自ら退くこともできない。君主制に‘定年’を導入しなければならないという新鮮な提案もある。一言で言えば日本国民は君主制に関心がない。」 

    進歩的な女性運動家で敬和学園大教授の加納実紀代「天皇制とジェンダー」は日本で相当な反響を呼び起こした一種の‘反体制著作’だ。‘反天皇制運動’で反体制と呼ばれる。英国と同じ立憲君主国の日本。

    しかし、日本のそれはジェンダー不平等が産んだ‘おかしな’制度と著者は批判する。ひたすら男だけ王になり、王は芸能人に転落したということだ。著者は君主制を廃止できないなら、まず女性も王になることができれば政治屋らに振り回されないだろうと指摘する。 

    「昨年夏、英国王室にロイヤルベビーが誕生した。その上、王位継承順位は男優先だったが、性別に関係なく最初が継承する様に憲法改正された。父親になったウィリアム王子が育児に情熱を示す姿が公開された。英王室のジェンダー平等が一般大衆に歓迎されているわけだ。

    これに比べて日本は英国と同じ立憲君主国であるにもかかわらず王位を男性に制限するジェンダー不平等が続く。一時、女性にも王位を開放しようという動きが活発に議論された。だが、王太子の弟夫婦に男児が生まれたせいで弱くなった。」 

    何年か前、日本王家の代が断たれると憂慮が広がったことがあった。外務高試(司法試験)に合格し知性と美貌を兼ね備えて国民的信望を受けた小和田雅子妃が適応障害で10年目の長期療養中ということと皇太子に息子がない点が君主制維持に危機感を投げた。だが、王位継承序列2位の次男から息子が生まれたせいで希望事項(?)に終わってしまった。 

    著者は「時代に合わない国王制は一刻もはやく安楽死させることが国民にも王室一家にも良いだろう」と力説する。それでも、昨年末スタートした第二次安倍政権は時代に逆らって君主制を強化しようとする動きまで見せている。

    (以下、くだらないので略)

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    ▲進歩的な女性運動家だという敬和学園大教授の加納実紀代


    そもそも、天皇陛下は「国王」じゃないし。何じゃこりぁ?と、思いましたら早速‥

    11:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/10/12(土) 00:21:24.63 ID:8qG1fu/d
    加納実紀代 
    女性史研究者 1940年ソウル生まれ 

    はい、解散 

    自称・日本人の天皇論でしたのね。

    「解散!」で、いいのですか、ブログとしてそれでは面白くないので、この加納実紀代という人が根本から勘違いしている「王朝」について書いてみたいと思います。以下、上記の天皇ジャンダー論に対する反論(?)といいますか王朝についての説明です。

    まず、現存する王朝は世界で三通りしかない。

     峅Ω奪取型」

    支那王朝の易姓革命がその典型で、全く血筋の異なる者が前王朝の王権を奪取するタイプです。現在のタイ王国はこの王権奪取型、支那式の王朝となります。


    ◆岷儿餡室に代表される議会契約型」

    議会との契約により王位に就任するタイプで約300年前の「名誉革命」で議会と王との間に交わされた契約書に基づいている。この方法により成立した王朝の場合、王は姓(ファミリー・ネーム)を有している。

    この英国式の契約型は日本には馴染みがないので少し説明します。

    現在の英国王室は一般にエリザベス女王、チャーチル皇太子と名前で呼ばれていますが、姓は「ウィンザー」といい、つまり「ウィンザー王室」です。姓があるということは、一つ前の王朝と途切れていることを意味をします。

    ウィンザー家は元々1714年にドイツのハノーバーから来た王様で、ハノーバー朝の始祖となったジョージ一世が「ハノーバー選帝侯」という侯爵の家柄で辛うじてイングランド王の血を引くという事から選ばれたのです。

    どうしてそうなったのかと言うと、話は英国国教会を立ち上げたヘンリー8世の娘・エリザベス1世に遡ります。1558年、25歳で王位に就いて以来『スペイン無敵艦隊』の襲来も退け一生独身のまま大英帝国の礎を築いた女王です。しかし、夫を迎えると国民が背く恐れがあるので政治的な理由で生涯独身でした。この為、エリザベス1世の死をもってチェダー朝は途切れた。

    そして、1603年、エリザベス1世のいとこのメアリー・スチュアートの子でスコットランド王となっていたジェームス1世が王位に就きスチュアート朝が始まります。ただ、スチュアート朝もアン王女の死をもって1714年に途絶える。

    スチュアート朝、最後のアン王女が亡くなり子供で天逝していたため跡継ぎがなく慌てたのが英国議会です。血筋を引く貴族で、しかもプロテスタントの王でなければならない。しかし、大国の王を呼び寄せたのでは国ごと乗っ取られる恐れがある。様々な制約がある中、ヨーロッパ中を探しまわって見つけたのがジョージ1世で、血筋としては実に7代遡ってたぐり寄せた。

    ともかく外国から君主を呼んでくるわけですから、議会が要求する契約条項は厳格でカトリックの女性とは結婚しないなど‥そういう厳しい契約に宣誓して即位となります。

    これが英国式の議会契約型です。

    (*本の受け売りなのですが書籍名は失念‥スミマセン。拳骨拓史先生の本だったか、渡部昇一先生の本だったかと思います)


    「姓をもたない万世一系の皇室」

    『王権奪取型』にしろ『議会契約型』にしろ王は姓を持っています。王朝が交代しているからで、いつから現王朝が始まったか歴史的に明らかになっています。しかし、日本だけは姓を持たない唯一の天皇を戴いています。姓を持たないという事は、ひたすら先祖を辿っていくと始祖を神話に求める以外になく、同時に一度も王朝交代がなかった事になります。昔の日本人はこの事を「万世一系」と呼びました。


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    ▲昭和21年1月の当時・皇太子時代の今上陛下のお書初め

    『姓』は、本来、天皇から臣下が授かるものでした。天皇へは姓を授ける人がいないので、天皇には姓がないのです。

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    ▲何でもないような歴史年表ですが、世界が王朝交代が当たり前の中、日本だけは天皇を君主にする日本国がずっと続いています

    これはよくよく考えると、奇跡のような、とてつもない事でなのです。


    さて、加納教授とやらは皇位継承にジェンダー(性差別)を持ち出していますが‥

    >日本は英国と同じ立憲君主国であるにもかかわらず王位を男性に制限するジェンダー不平等が続く

    勉強不足も甚だしいです。

    先に英国式の議会契約型の王朝を説明しましたが、この契約型の場合も女王が夫を迎えると以後「王朝は交代した」と見なします。

    だから、エリザベス1世は生涯独身で、エリザベス1世の死をもってチェダー朝は途切れ、アン王女の死をもってスチュアート朝も途切れたのです。よって議会契約型の王朝なのです。加納教授は、英国議会がイングランド王の血筋を7代も遡ってまでジョージ1世を探して来た理由をどう説明するのでしょう?

    日本の女系天皇賛成論者は、ここを無視しないで頂きたいものです。


    そもそも、何故、皇位継承が男系なのか?

    ご存知の方も多いと思いますが、性染色体のXY遺伝子の話が分かりやすいです。性染色体XY遺伝子で、XYなら男で、XXなら女です。Y遺伝子は父親から息子にしか受け継がれない遺伝子なのです。何故ならY遺伝子を持った時点で男でしかないから。

    愛子内親王殿下と悠仁親王殿下の場合、愛子内親王殿下は皇太子殿下のY遺伝子を受け継いでいません。もちろん、今上陛下のY遺伝子も。女の子だから当たり前です。一方、悠仁親王殿下の場合は秋篠宮殿下-今上陛下-昭和天皇-大正天皇-明治天皇‥と脈々と受け継がれてきた天皇のY遺伝子を持っています。

    「性差別だ!」って、加納実紀代教授は訴えているそうですが、男女性はXY遺伝子で違うんですから感情論で騒ぐ方がオカシイと思います。

    例えば、同じリンゴの種を日本で植えても南米で植えても同じリンゴの実がなりますが(環境によって多少違っても)、同じ畑でもリンゴの種を植えたのとカボチャの種を植えたのでは違う実がなります。

    日本人は農耕民族ですから、種の継続として種と畑の違いを古代から理解していたのだと思います。(因みに、日本にも女性天皇は持統天皇などいます。でも、この場合、中継ぎです。英国王室と同じように"女性君主"であって"女系君主"は全く意味が違います)

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    ▲加納実紀代氏の著書『天皇制とジェンダー』

    ナニが性差別だ?

    原種としてのリンゴの実が欲しいのに、カボチャやぺんぺん草の種を欲しがる人がいるのか???

    例えば、愛子内親王が皇位を継ぎ結婚したとして、そのお子様が皇位に就く事があるか?ないか?旧皇族の男性と結婚して生まれたお子様なら有り得ます。何故なら、そのお子様は旧皇族‥つまり明治天皇の玄孫なら明治帝のY遺伝子を受け継いでいますから。
    しかし、愛子内親王殿下が、例えば外国の王子と結婚したとして男児が生まれたとすれば、そのお子様のY遺伝子は外国の王室の遺伝子です。

    日本の歴代天皇のY遺伝子はどこへ?という話になります。

    これは『性』の『差別』とは関係ありません。

    尚、最後に水戸黄門で有名な徳川光圀の『大日本史』編纂の理由を書いてみたいと思います。

    海外で珍妙な説を撒き散らす日本人は近年だけでなく江戸時代にもいたそうで、中でも『皇祖太伯説』という「天皇は支那出身である」という珍説が江戸初期の儒学者の間で支持される事があったそうです。

    この珍説に対し光圀は「天皇が周王朝の末裔とされる『皇祖太伯説』は、昔、支那に亡命した無知な者がズサンな物語を話し、支那人がもてはやし逆輸入されたものである」として「我が国には『日本書紀』『古事記』という正史がある。それに背いて外国の記載を基に皇室の伝統を穢そうとするのは悲しい限りだ」として後世の日本人に正しい歴史を残す必要があると考えて『大日本史』の編纂に着手したわけです。

    光圀の着手した『大日本史』は一大事業となり実に250年の歳月をかけて編纂されることになったのです。

    また『皇祖太伯説』に怒り『中朝事実』を書いたのは武士道の先駆者・山鹿素行。中華思想に毒された日本の儒学者が日本を卑下する姿勢を憂い日本こそが世界一の国である、と書いたわけです。

    徳川光圀や山鹿素行の怒りはもっともで、現在の日本でも同じような事が起きています。どう対抗するかと考えると歴史に興味をもって知ることですね。

    さて、何故、韓国人は執拗に皇室を「王室」だと言い張り天皇の権威を卑下しようとするのでしょうか?

    自分達が歴代支那王朝の属国の王であったに過ぎず、「弟の国」と見下している日本が実は世界の王室から敬愛され羨ましくて悔しくてしょうがないのでしょう。だから、日本の権威である天皇を卑下するんだと思います。

    長々と読んで頂きありがとうございました。m(_ _)m


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    【奉祝!】先帝陛下 昭和天皇お誕生日

    • 2013.04.29 Monday
    • 14:47
    今日は先帝陛下、昭和天皇のお誕生日ですね。というわけで本日は先帝陛下の佳話を。

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    メールマガジン【国際派日本人養成講座】様より抜粋

    -------------------------------------------------------

    ■1.石のひとつでも投げられりゃあいいんだ■

    ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね、旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。
            
    ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね。
            
    それが生きた民主主義の教育というものだよ。昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。

    しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものだった。昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。行程は3万3千キロ、総日数165日。各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。
        
    イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。
        
    日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。
        
    イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、わずか1ヶ月で廃位に追い込まれた。それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?

    欧米人の常識では理解できないことが起こっていた。
        
    ■2.全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励ましたい■

    昭和天皇が全国御巡幸の決意を示されたのは、敗戦直後、昭和20年10月であった。宮内府次長加藤進氏に次のように指示された。
        
    この戦争により先祖からの領土を失ひ、国民の多くの生命を失ひ、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればよいのかと考へ、また退位も考えた。しかし、よくよく考へた末、全国を隈無く歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちがらせる為の勇気を与へることが自分の責任と思ふ。このことをどうしても早い時期に行ひたいと思ふ。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだらうが、自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかはまつたく考へることなくやってほしい。宮内官はその志を達するやう全力を挙げて計画し実行してほしい。
        
    御巡幸の打診を受けた占領軍総司令部は、冒頭で紹介したような魂胆もあって、許可した。

    (中略)

    ■9.天皇陛下さまを怨んだこともありました■

    因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。「どなたが戦死をされたのか」
        
    「息子でございます。たった一人の息子でございました」声を詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされたの?」
        
    「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」
        
    老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた天皇は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。
        
    引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」とお言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじり寄って言った。
        
    「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」
            
    この言葉に、側にいた青年がワーッと泣き伏した。「こんな筈じゃなかった。こんな筈じゃなかった。俺がまちがっておった。俺が誤っておった。」
        
    シベリア抑留中に、徹底的に洗脳され、日本の共産革命の尖兵として、いち早く帰国を許されていた青年達の一人であった。

    今回の行幸で、天皇に暴力をもってしても戦争責任を認めさせ、それを革命の起爆剤にしようと待ちかまえていたのである。天皇は泣きじゃくる青年に、頷きながら微笑みかけられた。

    -------------------------------------------------------

    全文は、国際派日本養成講座様を是非!

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    最後の引揚者の「陛下を恨んだこともありました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません」の言葉に泣き崩れたというシベリア帰りで共産主義に洗脳されという青年の話は衝撃的です。本当がどうか確かめようがないですが、日本人ならさもありなん、と思います。

    ちょっと話は飛びますが、先帝陛下といえば避けられない話が大東亜戦争です。

    大東亜戦争末期、日本軍の戦い方は常軌を逸していました。戦地が日本本土に近づくにつれ日本軍の抵抗は激しくなり、ついには米軍戦艦への特攻作戦です。実際の戦果はそれほどでもなかったとの調査もあるそうですが、米兵に与えた精神的ダメージは凄まじいもので米艦隊の乗組員の七割以上が「神風ノイローゼ」になったそうです。

    実際に体当たり攻撃を受けたり、目撃したことのある米将兵達は「真一文字に突っ込んでくる特攻機を見ると身の毛がよだった」と告白し、空母ワスプの搭乗員113名の健康診断をしたところ、戦闘に耐えうるのはわずかに30名の状態になったという。

    ここで米軍は『どうすれば日本と戦争を早く終わらせられるか』と再考せざるを得なくなり日本人捕虜の意識調査に注目したそうです。

    以下『日米戦争と戦後日本』五百旗頭真(著)より

    ---------------------------------------------

    どうすれば日本との戦争を終わらせることができるのか、日本本土決戦にはどれくらいの犠牲を強いられるのかを、アメリカ政府は再検討せざるを得なくなった。それだけに太平洋戦争の現場からワシントンに届いた、ある報告書が注目された。捕虜の意識調査をしていたジョン・エマーソンらのグループが、日本人捕虜に対して、君たちはいかにすれば武器をおくのか、と言うインタビューをし、その結果を報告してきたものであった。

    国際常識では、組織的戦闘能力がなくなった場合、兵士が武器をおいて素直に捕虜になるのが、自身のためでもあり、約束事でもあった。個別に抵抗したところで無駄に命を捨てるだけである。そんな非人道的なことはやめようと国際法は、その場合の手続きを決めている。捕虜収容所に収容し、終戦まで安全を保証する。その際の条件は人道的要請を満たすものでなければならない、と定めている。

    ところで、日本兵はその定めを教えられていなかった。逆に、一九四一年一月八日、当時の陸軍大臣東条英機が「戦陣訓」というものを全陸軍に示達して、「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残す事なかれ」と教育した。それゆえ、死を求めての突撃をしたり、バンザイ・クリフから飛び降りて死んだりする。

    アメリカ側にはその行動が理解できなかった。

    それでも、中には故意または事故によって、捕虜になる兵もいた。アメリカ側の戦時フィルムには、白旗を掲げた日本兵が、後ろから撃たれないように気を使いながら出てくるシーンがある。「戦陣訓」にもかかわらず、家族のためにも、自分はここで死ぬわけにはいかない。故郷に帰ってももう一度お袋さんや家族の顔が見たい、あのやさしい故郷の山河を見たい。あのやわらかい水を飲みたい、という思いが残るのは、人間である以上、当然の心情である。

    (中略)

    「鬼畜米英」と教えられていたのが、食べ物もミルクもくれ、傷の手当てまでしてくれることに感じ入るものもいた。日本兵に、君たちはどうしてあれほどまでに抵抗するのか、それほど死にたいのか、何のために死を賭してまで戦うのか、と聞くと、答えは意外にはっきりしている。

    「それは郷土を守るためだ、父母や子供、兄弟、同胞を守るためだ、天皇を守るためだ、そのためであれば、日本人は命を捨てる」と圧倒的多数の捕虜が答えた。

    ただ国民性として戦闘的であり、目的なしに死にたいという人間につける薬はない。名誉のために絶対に死ぬまで戦うというのも厄介である。

    ところが、目的がある人間とは話ができる。つまり父母兄弟を守りたい、あるいは天皇制を守りたいというのであれば、では、それを保証すれば君たちは武器を置くか、と問いかけることができる。

    もちろんだ、とその答えもまた非常に高い比率で一致していた。

    「もし天皇が武器を置くことを命ずれば、もちろん天皇の言葉に従う」と、

    極めてはっきりしていた。つまり、死に吸い寄せられるばかりの狂った戦士に見える日本兵も、条件次第では和平に応ずる。その条件とは、日本本土の所領安堵と天皇制の容認であるというのが、意識調査から得られた結論であった。

    硫黄島や沖縄で示された日本軍の命知らずな抵抗は、はたして予定通り日本本土決戦をやっていいものかどうか、アメリカ側に再検討を求める効果を持った。

    -------------------------------------------------------

    戦争に突入していったことは日本にとっても他国にとっても不幸な歴史ですし、自分の命を懸けた特攻はもう言葉にできないものがあります‥。しかし、当時は今の私達では想像もできない日本存亡の危機で、常軌を逸した特攻があり日本本土決戦が免れたわけです。

    私達は忘れていますが、日本は有史以来、一度も他民族による侵略・王朝交代を許したことのない国ですから、国難の際には天皇の存在が日本人の支えになるのがDNAで刻まれるているのでは、とさえ思います。

    世界では敗れた前王朝はことごとく殺されたり亡命したりしていますが、敗戦後の先帝陛下のご巡幸では、拝みだす人や土下座する人、泣き崩れる人がいて連合軍が驚愕したのは先に紹介した通りですが、連合軍が去った後も、マスコミ、日教組は長い年月をかけて『日本の侵略戦争』『軍部責任論』や『天皇責任論』といった自虐史観を植えつけていきました。

    しかし、昭和64年1月5日に先帝陛下が崩御された時、サヨクは恐怖したそうです。日本人が皇室を尊敬しないよう、『日本は侵略戦争をした』『あの戦争は軍部が悪いことをした』『一般国民は騙されていた』『軍部の最高責任者は天皇だ』と執拗に、教育の現場やメディアで夏になれば必ず『自虐史観』を繰り返していたにも関わらず、陛下ご回復祈願の記帳は気がつけば1000万人!陛下の棺には60万人以上がお見送りし、北海道から沖縄まで商店はシャッターを閉め営業自粛し、大手工場すらラインを止め、日本中、直立不動で黙祷です。

    執拗に反天皇キャンペーンを張っていたのに何故?こんなに大勢の人が‥???って。今までの終戦の日の特別放送は何だったの?‥日本人は天皇が悪いと思ってないの?‥と。

    そして、世界各国の首相はおろか王族までも陛下に最後のお別れに最高儀礼で続々と来日しだす始末です。

    復讐を恐れて前王朝の一族を根絶やしにし、自分だけは殺されまいと率先して敵に寝返り元王族側の人間に虐殺した歴史を持つどこぞの大陸や半島の蛮族の末裔には、到底、理解できないでしょうし戦慄したことでしょう

    今の日本があるのは、やはり一度も他国に侵略されることなく連綿と続く歴史があって明治天皇-大正天皇-昭和天皇-今上陛下と皇室があっての上だと思います。日教組やメディアでいくら反天皇キャンペーンをやっても、先人あっての日本だと皆、無意識のレベルで分かっているのではないでしょうか。

    それでは、先人に感謝と先帝陛下のお誕生日をお祝いして!

    皆様、良いゴールデンウィークを!


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    【陛下、沖縄ご行幸】沖縄へ8年ぶり!久米島初訪問!⇒県民、日の丸で奉迎!⇒沖縄タイムス「小旗5000本購入は過大支出ではないか?!」

    • 2012.11.23 Friday
    • 00:36
    11月17日〜20日にかけて天皇陛下、皇后陛下が8年ぶりに沖縄を、そして初めて離島の久米島をご行幸されたというニュースがありました。

    ですが、県民が奉迎する際に用意した日の丸小旗に沖縄タイムスが疑問を投げかけたという変な記事があったそうです。


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    天皇皇后両陛下の笑顔に、小旗を一生懸命に振ってお出迎えする県民の皆さんの様子を捉えた動画を見て和んでいたのですが、また沖縄タイムスが変な記事を配信していたと。

    また、ですよ。

    この反日タイムスが!

    ▼まずは、陛下が沖縄ご行幸に際しての動画はこちらです





    ▼画像はこちらです。県民の皆さんの奉迎の気持ちがヒシヒシと伝わってきます

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    画像だけでも沖縄県民が奉迎ムードに盛り上がっているのが分かります。


    で、これが沖縄タイムスによりますと‥(*地元紙だからといって地元の声だとは限らないです。例えば、東京新聞が都民の総意見だと思われたら私も困ります。それと同じだと思います)


    ------------------------------------

    ◆海づくり大会:天皇警護に警官3000人
    (2012.11.15)
    http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-11-15_41545

    第32回全国豊かな海づくり大会で来県する天皇皇后両陛下や要人らの警護に向けて、全国から警察官の沖縄入りが本格化している。期間中、県警を含めた警備態勢は約3千人を予定。天皇ご夫妻や要人が17〜20日にかけて大会会場の糸満市や視察先の恩納村、久米島町に足を運ぶため、広範囲にわたり厳重な警戒態勢が続き、県内は物々しい空気に包まれそうだ。

    ご夫妻の来県は2004年の国立劇場おきなわの開場以来。天皇陛下自身は皇太子時代を含めて9回目になる。県警は約1年前から新たに「警衛対策課」を設置し、警護方法や会場周辺の安全を確認してきた。

    (中略)

    万座毛周辺の海で営業している恩納村内のダイビングショップ店員は「そんなに厳しい警戒があるとは知らなかった。当日も予約客がいる。行き先の変更も考えなくては」と対応に頭を悩ませていた。ご夫妻が立ち寄る予定の糸満市内のスポーツ施設は16日から休業に入る。職員は「片付けや清掃などはこれからです」と忙しそうに話した。


    久米島町、旗5000本購入「過大支出」指摘も

    天皇皇后両陛下を初めて迎える久米島町は、町予算で日の丸の小旗5千本を買った。当日の20日は、沿道36カ所での歓迎を呼び掛けている。町人口は約8500人で、専門家は「過大な支出の疑いがある」と指摘した。

    町は広報誌で「両陛下をお迎えしましょう」と呼び掛け。事務局を務める「奉迎実行委員会」が約400人を集めて総決起大会を開き、区長にチラシを配るなどしてきた。町は「参加は強制ではない。町としては、100年に1度あるかないかの賓客をもてなすのは当然だ」と説明した。

    県は、沿道の歓迎を経済団体に依頼している。「自主的に集まった形にするため、半年前から内々に協力を要請した。正式な依頼ではないので、文書も出していない」という。経済団体側は17、18の両日に沿道で数百人を動員し、車列に向かって小旗を振る予定だ。

    沖縄大学の仲地博副学長(行政法)は「行政が来賓を歓迎することは問題ないが、天皇制の歴史的経緯から来る拒否反応もあり、意に反する参加がないよう配慮すべきだ」と指摘。「人に5人分の小旗購入は、公費の使途として妥当性を問われる可能性がある」とした。

    ------------------------------------


    >天皇ご夫妻

    >と対応に頭を悩ませていた

    >専門家は「過大な支出の疑いがある」と指摘

    >8人に5人分の小旗購入は、公費の使途として妥当性を問われる可能性がある


    仮にも文章のプロなのに両陛下に対して『ご夫妻』としか敬語が使えないのもどうかと思いますし、『頭を悩ませていた』のくだり、陛下ご行幸の記事に異様な感じがします。安全を配慮しての通行規制が悪いのでしょうか?もっと深読みすると、陛下のご行幸が迷惑とでも言いたいのでしょうか?

    果ては『小旗5,000本か過大な支出の疑いがある』との締めの言葉。


    何なんだ?この新聞???


    早速、日の丸の小旗はいくらするのかとググッてみました。紙製の日の丸小旗10本で500円(1本単価・50円)、50本からの大量購入で1,500円(1本単価・30円)でした。



    高く見積もった場合で、1本当たり50円×5,000本=250,000円で、大量購入で値引きの場合で、単価30円×5,000本=150,000円です。地域をあげて天皇陛下をお迎えするにあたって15万〜25万がそんなに高いのでしょうか?


    因みに、沖縄は先帝陛下が戦後の全国ご巡幸で訪れたくても叶わなった地です。


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    画像でもお分かりになると思いますが、先帝陛下が叶わなかった沖縄行幸に今上陛下がご行幸されて地元の皆さんは地域をあげて奉迎されてます。

    >100年に1度あるかないかの賓客をもてなすのは当然

    >賓客をもてなすのは当然

    至極、まともな感覚だと思いますが。


    陛下を奉迎する際の日の丸小旗(それも、高くても、たかだか25万ですよ‥)に難癖をつけるのなら、県職員も参加されたいう反オスプレイ集会や中韓との友好イベントはどうなんでしょうね。


    沖縄タイムスは陛下ご行幸が気に入らないのてしょうが、ホントにふざけた記事をあげたものです。


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    【動画】世界最強の天皇陛下

    • 2012.08.19 Sunday
    • 23:37
    韓国の陛下無礼発言で日本の空気が一変した感があります。

    日本の首相をバカにされようが、日の丸を燃やされようが激怒することない日本人でしたが、陛下侮辱は違いましたね。

    因みに、私は数年前に先帝陛下の写真に赤字で×印をつけデモに興じる韓国人のニュース画像を見たことがあり、当時とんでもなく頭に血がのぼりました。それまで天皇陛下や御皇室にそれほどの感情はなかったのですが。自分でも何故なのかよく分かりませんが、陛下侮辱と日の丸棄損のはワケが違うだろう!と。日の丸棄損も頭に来ますが怒りのレベルが違いました。


    ▼頭にくるとは思いますが、その侮辱画像です

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    ▲韓国人はやりたい放題です




    まー、そんなわけですが陛下に関するお勧め動画がコチラです。

    まだご覧になって方は是非!(動画は約4分半です)





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    鄂凌堂ε族爾顔去

    • 2012.06.06 Wednesday
    • 21:40
    鄂凌堂ε族爾顔去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

    早すぎます‥。


    所で、こんな時に言いたくはないですが、マスコミは自ら公器というなら尊称をちゃんと使ってほしい。
    「三笠宮寛仁さま」じゃなくて「寛仁親王殿下」です。


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    ▲ANN

    WS000146

    ▲FNN

    日本の公器なら正しい尊称を使ってほしい。


    それにしても早過ぎます‥。
    ショックで頭痛がしてきました。

    GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話

    • 2011.04.26 Tuesday
    • 22:34

    ちょっと息抜きの読み物を。皇居勤労奉仕団誕生の秘話です。

    SAPIO 2009年2月11-18日合併号より

    この勤労奉仕団、GHQの占領下の中、決死の覚悟で宮城県の青年団の申し出から始まったそうです

    (*SAPIOより転載ですが、横書きのブログですので、読みやすいように管理人が勝手に漢数字はアラビア数字に、段落も空けています)


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    【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】

    皇居勤労奉仕。
    読者のみなさんは、この言葉を耳にしたことがおありだろうか。
    全国各地から多くの人々がグループを作って上京し、皇居の中で四日間、ボランティアの清掃活動を行っている。その数、平成に入ってからの実績で言えば、一年間を通じておよそ一万人。この活動のことを「皇居勤労奉仕」と呼んでいる。
      *
    清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担だ。それでも約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けている。一般にはほとんど知られていない事実だ。しかし十分、注目に値するだろう。
    では、この皇居勤労奉仕はいつ、どのような経緯で始まったのか。
    この点については、幸いなことに、いくつか関係者の証言が残っている。まず、昭和天皇の側近に仕えた木下道雄侍従次長(当時)の証言を紹介しよう。

    時は昭和20年12月。つまり終戦の年の年末のことだ。当時、日本は言うまでもなく占領下にあった。皇居も各門にはアメリカ兵が見張りに立っているありさまだった。

    その皇居自体も、外観こそ戦前と変わらぬ様子であったものの、一歩、中に入ると戦災の跡が歴然として痛々しいまでの変貌ぶりだった。木造の建造物はほとんど焼失していた。明治時代に建てられた端正雄大な宮殿も焼け落ちて礎石や瓦、レンガなどが散乱し、目も当てられない状態だった。手入れが行き届かないため、雑草があちこち伸び放題に生い茂っていた。これは皇居前広場も同様だったから、外からも一目瞭然にわかった。

    そんな折、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一団が到着した−−。


    【皇居の清掃奉仕を申し出た若者たち】

    この若者たちは、門衛の皇官警察官を通して、次のように申し入れたという。
    「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのため上京してきました。‥どうかお手伝いさせて下さい」と。

    このことを筧素彦総務課長(当時)から電話で知らされた木下氏は、ただちに筧氏と一緒に門外で彼らと面会。その熱意に打たれて「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に一同の喜びはたいへんなものであった」−−。
    木下氏の証言によれば、皇居勤労奉仕はこのような形で始まったことになっている(同氏『皇室と国民』。)

    当時の交通事情を考えると、宮城県栗原郡の地元から上京してくるだけで、大変な苦労があったはずだ。しかも終戦直後だから経済情勢は極めて悪く、食糧の入手さえ困難な状況下でのことだ。その上、皇室そのものの行く末もなお不透明だった頃である。
    出獄した日本共産党の面々は虚脱した国民の前で「天皇制の打倒」を叫び、GHQは昭和天皇側近だった内大臣の木戸幸一を戦犯容疑者として捕らえ、皇族の長老、梨本宮守正王まで拘引される始末だった。

    そうした中で、60人もの若者たちが意を決して上京してきたことは、じつに驚くべきことと言ってよい。ただし、木下氏の証言だとも六十人の青年グループが突然、皇居に押しかけて「手伝い」を申し出たように受けとれるが、じつはこれ以前に勤労奉仕の受け入れをめぐるやりとりがあった。
    この点については筧氏の証言がある。


    WS000033


    【宮内省 総務課長の勇断】

    それによれば、ことのいきさつは以下の通りだった。
    この年の11月22日、宮城県から上京してきた二人の人物が宮内省(当時)を訪れた。この時、二人に応対したのが筧氏だった。

    この二人は、地元で指導的役割を果たしていた。一人は青年団運動のリーダー、鈴木徳一氏、46歳。もう一人は東久邇宮(*ひがしくにのみや)内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川竣氏(のちの衆議院議員)、33歳。彼らは現今の思想悪化を憂いつつ、なお皇室のことを思って荒れた皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに地元に60名にもおよんでいることを告げ、勤労奉仕の許可を求めたのであった。

    この熱意ある申し出に対し、筧氏はどう対応したのか。氏の証言を引用しよう。
    「当時はすでに占領下にあって、ことごとに占領軍の抑圧を受けている極めて酷い事情の下にあるので、こういう申し出をされる方も命がけなら、それを受け入れる決断をする方もまた異常の覚悟を要する状態でした。(中略)これを組織による意思決定の形をとったら、(中略)万一の場合、上の方にご迷惑が及ぶことがあっては一大事であると考え(中略)一切の責任を負って自分だけの独断でやることを決意しました」(日本教文社編『皇居を愛する人々』)

    かくて筧氏は、信頼するただ一人の上司にだけ打ち明け、その内諾を得るや、ただちに二人に勤労奉仕の許可を申し渡したのであった。何とも恐れ入った勇断と言うほかない。

    この時、鈴木・長谷川両氏は、何の書類審査もなく即日、許可されてビックリ仰天したという。それも無理はない。ただでさえお役所仕事というのは手続きが煩雑で、時間がかかる。ましてや天皇陛下のお側近くで仕える宮内省に、まったく前例のないことを申請しようというのだから、二人とも相当に手間暇がかかることは覚悟していたはずだ。それなのにただ一回の口頭の申し入れただけで、ただちに願いが聞き届けられたのだから。



    【拡大する勤労奉仕にGHQが疑念】

    宮城県栗原郡の若者たちは「みくに奉仕団」と名乗った。正確には男性55名、女性7名の計62名で、団長の鈴木氏と副団長の長谷川氏を除き、ほとんどが22、3歳の若さだった。苛酷な占領下のことゆえ、彼らの行動に対しGHQがどのような対応をとるか予測がつかず、「娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」という(木下氏証言)。

    むろん、占領当局によって拘束されるようなことはなかった。ばかりか、奉仕の初日に一同にとって思いもよらぬ感激的な場面が待っていた。みなの前に昭和天皇が姿を現されたのだ。
    鈴木氏の証言を紹介する。

    「奉仕はだんだん進んで正午近くになった頃です。静かだった奥御殿の石垣の上に、かすかに人の群の気配がするので、ひょっと見上げると、陛下がお立ちになって、こちらをご覧になっていられます。(中略)お付きの方が見えて、陛下がお呼びだという。私は作業衣のまま石段を上って御前にまいりますと、木下次長さんがお取次ぎで、いろいろ御下問を賜りました。(中略)やがてご政務所へお帰りになりましたが、その御後姿を拝し一同期せずして君が代を合唱しました。誰の眼にも涙がいっぱい光っていました」(前掲書)

    その後、女官を伴って香淳皇后もお出ましになった。両陛下のお出ましに一同がどれほど感激したか、察するに余りあるだろう。
    「みくに奉仕団」のことが各地に伝わると、我も我もと次々と奉仕団が結成され、勤労奉仕の申し出が宮内省に殺到した。何しろ翌21年には早くも188の奉仕団が名乗りをあげ、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しているのだ。ピークは昭和26年で、何と4万人近くの国民が参加した(奉仕団は831団体)。

    こうした動きに対し、GHQもさすがに疑念を抱き、背後に強力な組織があって、巨額の資金を投じ、彼らにとって良からぬ策謀をめぐらしているのではないかと、独自の調査を行ったらしい。その情報をキャッチした海外のメディアが奉仕団に取材をかけるようなこともあった。総力戦に敗れた国の君主制は第一次大戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように滅びるのが通例だ。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行っている。彼らが不審に思うのも当然だ。だがもちろん、そこには何の背後関係もなかった。人々のひたむきな皇室への思いだけがあったのだ。



    【これまで累計 約120万人が奉仕】

    占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。

    この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができる(詳しくは宮内庁のHP参照)。だから高校生や大学生などの奉仕団もある。

    奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、今も天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会がある。それは天皇と普通の国民が最も近づく貴重なチャンスと言ってよいだろう。


    −戦にやぶれしあとのいまもなほ民のよりきてここに草とる(昭和天皇の御製)−



    何だか泣けますね‥。

    GHQの占領下、決死の覚悟で焼け跡となった皇居の清掃を申し出る青年団。それも、東京から遠い宮城県の村から。

    そして、それに応える宮内省、侍従、陛下。

    今回の震災でもそうですが、日本人は困った時ほど、人を助ける事に熱心な民族だと思いました。


    で、今、66年前に皇居清掃を申し出た宮城県の皆さんが甚大な被害を受けているんですよね‥。



    今、東北を助けない理由が分からないです。



    kizuna



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    仙谷「講書始の儀」で居眠り、菅も「天皇陛下ご在位20年記念式典」で居眠りしてた

    • 2011.01.13 Thursday
    • 22:13

    仙谷「講書始の儀」で居眠りとのこと、教えて下さった方がいましたのでエントリーです。
    教えてくださって、どーもありがとう☆

    で、ただただ呆れました。

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    何この姿勢?‥仙谷氏はいい年してTPOもわきまえていないんでしょうか

    ローマ法王やエリザベス女王の前でも、こんな態度とるんか?

    ----------------------------------------------------

    ◆皇居で講書始の儀
    (2011.1.12)
    http://www.jiji.com/jc/p?id=20110112140833-0304202&n=1

    天皇、皇后両陛下が年頭に学界の第一人者から講義を受けられる「講書始の儀」が12日、皇居・宮殿で、皇太子さまら皇族方も出席して行われた。写真は立本成文総合地球環境学研究所長の講義を受ける両陛下=代表撮影 【時事通信社】


    d0044584_19335175

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    ss05
    ss03
    ss02

    マジで寝てたね(呆)

    健忘症だわ、陛下の前で居眠りするほど集中力も落ちているんだから引退して静養すればいいのに。

    で、ちょっとググッてみたら、菅も「天皇陛下ご在位20年記念式典」で居眠りしてた‥。

    ----------------------------------------------------

    ◆【菅首相誕生】鳩山氏とは異質の湿った軽さ パフォーマンスの菅氏
    (2010.6.4 22:11)抜粋
    http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100604/plc1006042224037-n4.htm

    皇室観も見えにくい。4日の首相指名にあたって、この日から静養に入るご予定だった天皇陛下の日程はなかなか確定できず、同日中の宮中での任命式も見送られた。
    17年5月には、終戦時に昭和天皇は退位すべきだったとの認識を表明した。

    昨年11月の政府主催の「天皇陛下ご在位20年記念式典」では、式典実行委員会副委員長を務めた。にもかかわらず、陛下ご臨席の場で「首を何度も何度もこっくりこっくりとし、居眠りをしていた」(自民党の木村太郎衆院議員の質問主意書)と指摘されている。

    ----------------------------------------------------

    >17年5月には、終戦時に昭和天皇は退位すべきだったとの認識を表明

    >政府主催の「陛下ご在位20年記念式典」で居眠り

    凄いよね。中井ハマグリの秋篠宮殿下、妃殿下への「早く座れよ」発言といい、陛下の前での居眠りといい、全ては皇室軽視のあらわれではないかと思います。

    中韓にとって、世界各国で敬愛される歴史と伝統ある皇室はどんなに欲しくても、自国ではいただく事はできないですから、彼等は皇室や陛下を軽視することで必死にプライドを保っているのでしょう。


    所でマスコミ主導で行われた「開かれた皇室」とは何だろう?と。


    ▼まだ未読で抜粋記事を教えて頂いただけなんですが、凄く分かりやすかったので紹介です。

    【「開かれた皇室」キャンペーンの真意とは】
    国民の憲法改正―祖先の叡智日本の魂: 中川 八洋著(ビジネス社)


    昭和天皇陛下の崩御に伴い、一九八九年の「開かれた皇室」「親しまれる皇室」が大々的にキャンペーンされるようになった。

    むろん、テレビや新聞から流れる「開かれた皇室」の意味は、キャンペーンする方はその真意を隠すから、さっぱりわからない。
    皇室が国民との距離を縮めよ、皇室(天皇)は目線を民衆の低さまで下げよ、と主張しているのであろうか。

    他意(悪意)がある。
    なぜなら、テレビや新聞は、すべてテレビ・カメラとともに取材が許されている天皇陛下の国事行為
    ― 国会の開会式、大臣の認証式、外国大使の信任状奉呈式、植樹祭など ―をほとんど報道しない。
    仮にしても一瞬の画像程度である。いわゆる狹傾脹し瓩目的である。
    天皇の国事行為を「存在しないもの」にすべく、徹底的に無視する「検閲」をしているのは、日本の新聞とテレビの方である。
    つまり、「開かれた皇室」論の新聞やテレビは、天皇の日常全体が国民の眼にふれるのを徹底的に妨害している。

    (中略)

    「開かれた皇室」論とは、「国民の眼から閉め出された元首としての天皇」と表裏一体となった、「私人の私生活しかない皇室」という偽イメージをつくるのが目的である。
    また、「開かれた皇室」論による天皇制廃止運動は、「もっと見せろ!」のタレントの私事(プライバシー)あばきを皇室にも適用し強制して、皇室をタレントのレベルに貶めて、皇室からその威厳と高貴性を奪うのが目的でもある。



    ▼こちらは、加瀬先生の著書「昭和天皇 三十二の佳話」からの引用です。

    【煙草をてのひらで消した政治家】
    昭和天皇 三十二の佳話:加瀬 英明著(有楽出版社)

    昭和32(1957)年のある日、私は園田直(すなお)代議士と一緒に、ニューヨークのウォルドーフ・アストリア・ホテルのエレベーターに乗っていた。引退したマッカーサー元帥に会いに行くためである。
    後に福田赳夫内閣、大平内閣、鈴木内閣で外務大臣を務めた園田氏は、当時、外務政務次官だったが、私と個人的に親しかった。首相特使として岸信介首相の訪米準備をするためにニューヨークへ来ていたが、マッカーサーに会いたいというので、私が仲介の労をとった。私は留学生だった。

    ウォドルドーフ・アストリア・ホテルは、28階以上がアパートになっている。住人にはマッカーサーのほかにも、コール・ポーターやウィンザー公(元イギリス国王)夫妻など錚々たるところがいた。
    執事に案内されて、広い応接間に通されると、まず、その豪奢なことに驚いた。部屋の中は、椅子と絨毯を除けば、すべて日本の古美術品だった。国宝級の金屏風が3,4双並び、金銀の飾物、陶器、美術品がところ狭しと置かれている。
    公職追放処分を免れようとした日本の有力者から贈られたものに違いなかった。

    (中略)

    元帥は座ると、シガレット・ボックスをとって、私たちにタバコをすすめた。
    ‥元帥は私たちの質問に答えて、話題は憲法9条から極東の軍事情勢にまで及んだ。一旦話し出すと止まらなかったので、質問を続ける必要はなかった。

    (中略)

    私はテーブルの上で灰皿を探したが、目の前に置かれた銀の盃(さかづき)の中に、先ほど元帥が擦ったマッチの燃えかすがあったので、そこに灰を落とした。

    盃の底に16弁の菊の御紋章があったので、私は咄嗟に、それが天盃(てんぱい=天皇から賜る盃)である事がわかった。しかし、テーブルには、シガレット・ボックスともう1つの天盃が置かれているだけで、ほかには何もなかった。私はやむなくこの「灰皿」を使い続けた。

    「私が世界でもっとも尊敬する人物は、天皇陛下だ。私が東京に進駐するとヒズ・マジェスティ(陛下)が会いにこられた。そこで陛下は『大戦の責任は、みな自分1人にある。臣下は自分の命を奉じたに過ぎない』と厳然として言われ『連合国が責任を問おうとするなら、まず、自分を処刑して欲しい』と述べられた。私はこのとき、真の君主の姿を見たと思った。あの瞬間から、天皇を深く敬愛するようになった」。
    当時、アメリカやイギリス、オーストラリアの新聞は、天皇を国際裁判にかけて死刑に処するべきだと主張していた。

    私は突然、人間の脂肪の焼ける臭いをかいだ。ふと見ると、横にいる園田氏が掌(てのひら)でタバコを消している。
    その表情には何の変化もなかった。瞬きすらしないのだ。

    特攻隊長として終戦を迎えた園田氏は剣道、居合道、合気道など二十数段の猛者である。数秒が過ぎた後は、何事もなかったようだった。

    マッカーサー元帥は、まったく同じ調子で、遠くを見つめるような目をして話し続けていた。
    そのうちに元帥は、ソ連の脅威が募っていると警告した。日本が軍備を拡張し、自由アジアの一大軍事勢力として、極東の平和に寄与しなければならないと熱心に説いた。
    ‥元帥がドアまで送ってくれた。客が(天盃を灰皿として使うにしのびず)掌でタバコを消したことには気付いていないようであった。それとも案外、知っていたのかもしれない。

    帰りのエレベーターの中で、園田氏が私に言った。「君は、よくあの天盃が使えたなぁ」。園田氏の掌には大きな水ぶくれがあった。私は世代の差をそこに感じた‥。


    人の価値観はそれぞれだと思いますが、国民の代表である国会議員が、日本の象徴である陛下の前で居眠りしたり、不敬な事を言ったりする神経がサッパリ理解できません。

    オマエはどこの国民に選ばれて、誰に認証されて日本国の大臣になったのか?と。



    色々言いたいのですが、止まらなくなりそうなので最後に、終戦翌年の昭和21年の歌会始で昭和天皇が御詠みになられた御製を紹介して終わりにしたいと思います。


    「ふりつもるみ雪にたへていろかえぬ 松ぞおおしき人もかくあれ」

    降り積もる雪とは米国、耐える雄雄しき松とは日本のことです‥。


    この御製を数年前に初めて知った時、私はショックでした。

    御製の意味もありますが、何で、この年になるまで先帝陛下が終戦翌年に詠まれた御製を全く知らなかったのか‥、と。(毎年、夏になるとシツコイくらい終戦特集をやってるのにさ‥)

    日本人を腑抜けにさせ、二度と歯向かわせないため採られたGHQ主導の自虐史観や旧皇族の皇族離脱指令、皇族軽視などなど。GHQが去っても続けられたのは反日民族にとってピッタリの政策だったんでしょう。



    ところで、世界最古にして世界最長の王朝が日本にあるという事を日本のマスコミは何故か言いませんね。

    何でなんでしょうね?


    ▼観てない方は一度是非!






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