皆様、お花見しましたか?
私はいわゆる宴席を設けての『お花見』はしませんでしたが、散歩がてら近所の桜並木を携帯で写メに撮ったりして楽しんでおりました。
咲きはじめも、満開も、散る姿も『春だなぁ‥』と。
と、思ってましたら共同通信で桜をテーマに素っ頓狂な記事が。
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◆「仕組まれた桜」(2012.4.11)
http://www.47news.jp/47topics/himekuri/2012/04/post_20120410141442.html各地から「桜満開」の便りが伝わってくる。この国の人々の桜に対する思い入れは尋常でない。毎年この時期の花見にかける熱意。それは、桜が日本人の心情に深く結びついているからだといわれる。日本列島の春を象徴する花木で、パッと咲いてパッと散る。その美しさ、潔さ、はかなさが武士道と重ね合わされたり、時には戦争や軍隊のイメージと結び付けられたりした。浅野内匠頭が切腹する場面でハラハラ散る桜は、あだ討ちドラマである「忠臣蔵」の悲壮感を決定づけているし、沖縄決戦に向かう戦艦大和は、乗員が満開の桜を見つめながら出航するシーンで、その後の悲劇的な運命が暗示される。そして、学校の卒業と入学の時の桜。どんな学校にも、校門や校庭に桜があった。咲き誇り、静かに散る桜は、卒業生や入学生を見送り、出迎えた。私たちの記憶の中には、そんな桜の映像が残っている。出会いと別れ、生と死…。いつでも、桜は人々の感情をかき立てる「装置」だった。しかし、それには背景と仕掛けがある。一例を挙げれば、明治のはじめ、日本の学校のほとんどは欧米と同様、9月入学だった。ところが、旧制高校や他の上級学校が、同じ秋入学の陸軍士官学校や海軍兵学校などとの間で生徒を取り合い、競争が激化した。それで「先に優秀な人材を」と、4月入学に早めたのだという。桜との縁もそれからのことだ。「桜の花は戦死を美化するために導入された」―。大貫恵美子氏の「ねじ曲げられた桜」(2003年、岩波書店)は、日本の軍国主義体制が進む中で、桜に意図的なイメージが与えられたことを詳述している。「桜の花のように、若者は天皇のために自分たちの命を犠牲にするが」「靖国神社の桜の花に生まれ変わることを約束された」という。「貴様と俺とは〜」の歌い出しで知られる軍歌「同期の桜」の歌詞は、はっきりそのことを示している。そしていま、靖国神社には桜の標準木があり、その花びらの開き具合で、気象庁は東京の桜の開花宣言をする。これも「仕組まれた桜」の物語の名残りといっていいかもしれない。(2012年4月11日 47NEWS編集部 小池新)
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何だかなぁ‥。何が言いたいんでしょうね?
>桜は人々の感情をかき立てる「装置」だった「装置」でも「舞台」でも何でもいいですが、一年に一度パッと花を咲かせて散る桜に何らかの感情を投影する方が心が豊かでしょうに。
可哀想に。この記者は、季節を感じる余裕も美意識も持ち合わせていないんですね。
さて、この記者。結局、何が言いたいんでしょう?
多分▼ここの部分ですね。(それでも、何が言いたいのか意味不明ですが)
>桜に意図的なイメージが与えられたことを詳述している。
「桜の花のように、若者は天皇のために自分たちの命を犠牲にするが」
「靖国神社の桜の花に生まれ変わることを約束された」という
>靖国神社には桜の標準木があり、その花びらの開き具合で、気象庁は東京の桜の開花宣言をする。
これも「仕組まれた桜」の物語の名残りといっていいかもしれない。意図的も何も、江戸時代から「花は桜木、人は武士」という言葉もありますし、古くからパッと咲き儚く散る様に諸行無常の感覚で捉えているのではないでしょうか?
遣唐使の頃までは日本で親しまれていた花といえば「梅」だそうですが、唐の滅亡で唐風文化が廃れ梅よりも桜に人気が出てしまった。(古今東西、植物にもブームがあるんですよね。^^;)
でも、桜人気は廃れることなく根付いてしまった。結局、日本人の美意識に桜がマッチして、旧日本軍の特攻機「桜花」もあるように日本人の精神のシンボルとして多用された、と。
それにしても、
『子孫のため命をささげ、桜の花びらとなって、靖国で待っている』究極の自己犠牲に感謝して鎮魂を祈ることしかできませんが『桜の花びらとなって靖国で待つ』という思いの何がイケナイんでしょう?
昔は、ボーッとし過ぎていて分かりませんでした。(『軍国主義が!!!』『旧日本軍が!!!』とTVで言っていても『何で日本人が日本人の悪口いってんだろ?』でした。あまり興味もなかったし、そんな話をする大人も私の回りにいなかったんですよね)
でも、GHQのW.G.I.P(*ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム=GHQが日本人に戦争の贖罪意識を植え付けるための宣伝計画)を知り、ようやく分かりました。
マスコミが何が言いたかったのか。
このGHQによるプログラムとは『戦争の罪悪感を植えつける事により米国へ二度と歯向かわせない』ことが目的で、そのプログラムの中に『日本vs米国』の大戦を『軍国主義者vs日本国民』の戦いにすり替える底意があったそうです。
この実際はありもしなかった『軍国主義者vs国民』の架空の対立を、現実と錯覚する人が出現すれば、戦後、国民が苦しんでいるのは全て『軍国主義者の責任』で、大都市への無差別爆撃も原爆投下も『米国には責任はない』という論理が成立可能だと。
で、GHQ占領下の指令や検問がマスコミ・教育界に予想以上に浸透したお陰で、『軍国主義がー!』『軍靴の足音がー!』『天皇制がー!』(←天皇制ってそもそも何?)なんて論調ばっかになり、今もやっている、と。
でも、もう流石に論調が古いし限界だと思う。
マスコミさんは知ってるのかな?
実は昭和が終わって、もう24年も経つんですってよ?
そもそも『天皇制がー!』とか言うんであれば、大政奉還した幕末は何なんだろ?
明治維新を持てはやしているのは何処のメディアなんだろ?
『軍国主義』に『軍靴』ねぇ‥。今の学生さんはおろか、70年代生まれの私でさえもピンときませんよ。
私の場合、学生時代は趣味とアルバイトに熱中して勉強もせず、TVも見なかったせいか、そもそも軍国主義がどういうもので、何が具体的に悪いのか、という事が分かっていません。
仮に、軍国主義が『強い軍事力を維持する侵略思想』でしたら、幕末の西欧列強に言え!南下してきたロシアに言え!原爆投下した米国に言え!
で、もって、今のタイミングでしたら『中国と北朝鮮に言ってこい!』ですよ。
そもそも、冒頭の
>この国の人々の桜に対する思い入れは尋常でない
この人、どこの国の人?まぁ、この書き方からすると他人事で上から目線。このコラムをGHQの占領政策や洗脳プログラムを知った上で読むと、滑稽ですらあります。
この人達は、いつまで日本人を騙せると思っているんでしょう?
まぁ、戦後70年近くなっても『軍国主義がー!』に変わる思想も大義名分を見つけられない所を見ると、もう限界なんでしょうね。
今後の傾向は『ポピュリズムを煽る洗脳メディアを洗い出せ!』にでもなるんじゃないの?
こっちの方が刺激的だし、第一に『嘘』をパズルにように解いていくんだから面白いよね。